『民衆が語る中国・激動の時代−文化大革命を乗り越えて』4)改革開放への胎動

一言で言ってしまえば、中国人(大雑把な意味)と日本人というのは似て非なるものというか、似てる分だけ案外面倒というか。周恩来氏のことをわりと好きな日本人が多いのも、彼がわかりやすいからだと思います単に(善悪は好意にあんまり作用しませんね)。
日中友好にパンダくれたし、んで彼、死ぬまで毛沢東を嫌えなかったんじゃないのかと。
資本主義がそこまで「いいもの」かどうかってのはむしろ今この年に、隣の国の人間が胸に手ぇ当てて考えるべきことだと思います。私はそうは思わない。


四五天安門事件−Wikipedia
毛沢東が病に倒れ、四人組が跳梁跋扈し。
最後の砦だった周恩来が死亡、その抗議活動の流れが天安門事件を引き起こし。
天安門事件は二回存在します、正直性質は似たようなもん。)
それでも消えなかった“違和感”が毛沢東の死後噴出、四人組を倒し、皆で我に返り、そして文革そのものを恥じて(被害者も加害者も両者兼ねる人も)地中に埋め。
忘れようとして訒小平の改革開放に乗り。
今もその流れから外れてません、路線の変更らしきものは現在に至るまでありません。
文化大革命は外から起こった模倣でもないし、権力者のコントロールからははるかに外れて、四人組が憎まれているのも感情的な問題が大きいんじゃないのかと、正直。
正しいか間違っているかはまず置いておいて、意義があったのかどうかは、他国の人間が口を出していいものやらどうかまず迷います。意味は、というのならば、どう考えてもあの時あの時代あの国の大半の人間の本音ではあったと思います。
やっと冷静に語ることが出来、いつか評価することも適うんでしょうか。