「悪者見参−ユーゴスラビアサッカー戦記」木村元彦

ユーゴスラビア”という今は存在しない国の、分裂の過程において唯一そこから脱出する手段であったのだともいうサッカー選手たちはその国のセルビア人たち(+ミロシェビッチ大統領、独裁者と呼ばれたそうですが)(独裁者の定義って正直なにさ)に対して行なわれたという名目の空爆が行なわれていた時に。
ほとんど政治的な発言をしてこなかった彼らは「NATO空爆を止めよ」というTシャツを来てグラウンドに姿を現したそうです、国に問題はあれど、それが空爆という形であっていいわけがなく、そもそも“セルビア人”を全て加害者と、彼らの中のグループが行なったという虐殺の責任を負わせるのは人種差別とどう違うんでしょうか。
争う二つの勢力の、片方を殺し尽せば争いが止む、という表現を著者さんはしているのですが、傍から見ていてNATOやアメリカがそう思ってなかったようには正直;


私はサッカーをほとんど知らず、そもそもここに出てくる地名が少し、人名は見分けが付いているかどうかも怪しく、著者さんはあくまでサッカーへの興味から関係者の間を駆けずり回ったのですが、空爆の後アメリカ人の記者が殴られる中、庇われて「日本人は違う、臆する必要などない!」という言葉を後ろめたく思う必要はないと思います、だって彼らにとっての“日本人”って著者さん本人以外にありえないでしょう。
(日本人はむしろ彼に感謝すべきだというような気すらw)
この本に書かれている内容が事実誤認だとしても、これは一次資料だと思います、当事者そのものでなくても、なんとか彼らに近づこうとした。民族が混じり合って暮らし己の所属は自己申告する土地、近所の知り合いが連れ去られ、殺されても声も立てられない場所に爆弾を落としてなにが解決するんだろう。一体。