『爆問学問』#32 松岡正剛(編集工学)

“世界は編集されている?”、この人の名前はどこかで見たような覚えがあるんですが、確か江戸の如何わしい絵を調べた時に拷問のことを語っていた人だったかなぁ、とうろ覚えにしてはかなり失礼なことを言っているような気もしないでもないんですが。
別にそれが間違いだとしても恥ずかしいと思うこともない気もします。
私も別にそういう絵を調べたこと恥ずかしくもなんともないし、面白かったので。
さて、見ている分にはなかなか面白い回だとは思ったんですが基本的に立場が太田さんに近いというか、世界を常に疑問を持った目で眺める、という方だったもので反発らしい反発が全く起こらず、そして太田さんが語ることを興味深げに聞き入ってしまうもので(面白いとは思うけどさ)、なんともこう、平穏っつーか、別に不満とかじゃないですよ?


結局のところこの世界はどんなものも必ず編集という手を受けており、そこからこぼれたものは確かにあるのだけれども、逆に田楽が能楽になった時のように、所作の幾つかが削られてまとめられたことにより、「より濃厚に」伝えられるようになったようなこともやっぱり日常的にも存在するのではないか、捨てられることにより、純粋に切り捨てられた部分を表すこともあるのではないか、という内容がちょっと印象的だったでしょうか。
けどまあ、そのことを妄信しているというわけでもなくて、どっちかというと切り捨てられた雑音のほうに興味を惹かれるタイプの人であるし。もしかしたら完成に至るのかもしれない、と足掻く人のことも、一度作られたものはそのままにしておくべきだ、という太田さんのこともどちらも好意の目を持って眺めるだけで。
ちょっとだけ、編集されているということも混沌のうちなのかなぁ、ということを思ってしまったんですが、この人自信が一番混沌としていたからかしら。