「中世シチリア王国」高山博

中世以降、ヨーロッパの歴史の中心が西欧に移る前の時代、南イタリアで同時期近隣に派生した国々の中で唯一存続し繁栄を謳歌したシチリア王国の本。
その構成は事実上「ローマ・ギリシャ・アラブ」の文化の複合体であったようです、というか、“王座に座った最初の近代人”フリードリヒ2世ってのはこの文化体から生まれて来たのかw アラブ側の資料で大絶賛される、、えーと、変人です(十字軍なんてふざけてんじゃねぇよ、とばかりにアラブ側の王家と協定の上で土地を貰ってきとります)。
とはいえ、イスラム教とキリスト教はどうもどっちの責任でもなくて仲悪いもんなのかもね、もともとは巡礼者まで満遍なく強いノルマン人がイタリア系から警備等々要請されて深く関わるうちに幾つかの王国を作り、その中でシチリア王国は他文化への寛容(しかし身内同士は争う、あー、すっげぇ何度も聞いた;)を旨にアラブ・ギリシャやその他他国出身の王妃の縁戚としての政治関与、と様々な文化の複合文化を作り上げた、というのがその極めて大雑把な歴史。ちなみに果樹園が大好きなのはアラブ系移民の特徴ですってさw
(シチリアが果物がたわわに実る天国と呼ばれていた理由だったねー、それ。)


しかしこの構造、正直、上に強く寛容な王が乗っかってないと緩みやすいっていうか、一旦瓦解した時にその記憶が失われてしまったのもわからんでもないのですが、その目に見えない形での影響というのはむしろ逆に深く欧州の国々にも残ったんじゃないかしら。
てか、アラブ系と欧州系は武力や政治力では拮抗もしくは欧州系が押すのですが、同条件で商売したり生活面になるとさーっぱり負けるんだよね、あははー。得意分野の極端な違いが微妙な対立構造を生み出していると思うんですが、仲良くすればいいのにね。
シチリア王国が神聖ローマに組み込まれて、この血はどこに行ったんですかねぇ。