「中央ヨーロッパ「ケルト」紀行-古代遺跡を歩く」武部好伸

そもそもこのタイトルにある“中央ヨーロッパ”ってどこじゃいな、ということに当然なるのではないかと思うのですが、そもそも普通に中欧って括る場合にもそりゃあいろんな分類がないでもないのですが(ドイツ圏というのが一般的だけどドイツが含まれないのがもっと一般的という)、実際に蓋を開けてみると半分以上が南フランスの地で。
著者さんご当人もなんでこうなったかなぁぁ、と言ってらしたんですがね。
まあ、フランスの古代遺跡の無造作な残りっぷりは他の時代見てても結構特徴的ですもんね、イギリスなんかの遺跡は整備されて残ってるけど、フランスの地方の場合は素で残っているというか、認識されたのすらわりと最近というか(イタリアの場合は現在進行形で手入れされているわけですよ、使ってるのですよ)。


ローマ支配以前のケルト文化の遺構ってことになると仕方ないのかなぁ、という気は。
他にスイスとかベルギーとか、概ね古代ローマ人に「ガリア」と呼ばれた地が主な取り扱い範囲なのかな、といったところですね、フランスの場合は北フランスに、ブルターニュっていうそもそもケルト文化で国単位以外で代表格みたいなところもあるしね。
今回扱われていたのは主にやっぱりガリア時代じゃないのかなぁ。
(そしてガリアというのもケルト人の異名だったみたいです、訛り? 別名?)
著者さんはフランスがガリア=ケルト人の国だ、ということを言い出したのはイタリア(ラテン系)やらドイツ(ゲルマン系)を避けたんだろう、ということを言っていたのですが、いや、ケルト民族との親和性はイタリアやドイツよりも古いというか、、、フランスの出来た頃にはもうそんな傾向あったんじゃないかと個人的には思うのですが。
ていうかだからぶっちゃけ南仏にいろいろ残ってるというかなんというかw