『都市環境デザイン論’10』#5 少子高齢化と都市環境デザイン

この回のタイトルの「少子高齢化」と子どもの都市デザインへの参加ってのはむしろ逆の話題なのではないのかな、とちょっと思っていたんですが、あー、なるほど、子どもが育てにくい社会環境になることによって先進国の中でも出生率の低いほうのグループに含まれてしまうという状況のことを指していたわけか。
というか、ちょっとこれ書いてて思ったんですが、昔はたくさんそこらにいて当然の存在だった子どもが極端に少なくなることで、その行動ほ奇異や迷惑に思う度合いというのも上がっている可能性もあるのではないのかなぁ、と。
しかし、小学校や幼稚園、公園を迷惑施設と断定してたらそりゃ少子化にもなるわ…。
西東京市だか八王子だったかでの公園での児童の声が騒音認定されたという新聞記事が。
そこで逆に、というのかな、子どもの視点による住み良い環境作りというものを考える時に、日本ではどうしても“子どもにはなにもわからない、聞いても無駄”という反応が返るものの、大人の硬直化した視点とは違う面白さのようなものがあると。


前の回でも時々出てくる概念である、歩行者に優しい、その場所に留まろうとする道や空間の創設って本当に都市作りという観点において、なんていうんだろう、即効性のあることなんだなぁ、と、小学生が提案した「りんごの道」などでも改めて。
今までの日本の社会ではどうしても切り捨てられて来た無駄な部分なんですけどね。
立ち止まる余裕すらないような空間にいつまでもいることなんて好き好んで誰もやんないよなぁ。飲食店に入ればいいじゃないって言われても、そこすら長居禁止じゃん。
ドイツの街作りの研究家の人がやたらと立石に水だったんですがw 歩行者と自転車が別の道でどちらも不自由ないよ、ということは日本では無理でも余裕は欲しいよなぁ。