「地図物語 地図と写真でたどるあの日の浅草-昭和26年から30年代の思い出と出会う」佐藤洋一/武揚堂編集部

地図物語 地図と写真でたどるあの日の浅草―昭和26年から30年代の思い出と出会う

地図物語 地図と写真でたどるあの日の浅草―昭和26年から30年代の思い出と出会う

昭和26年作成の、えーと、A4サイズの約4倍だから…A0サイズの地図というのが多分この本のメインではないかと思うのですが、どう足掻いても折ったり伸ばしたりしないと読めないので正直苦労しましたw ていうか紙が弱る弱る...orz

またこれが、上に地図の出来た時代、下にこれが“火災保険特殊地図”と呼ばれている地図でなんでも材質まできちんと書き込んであるという、一人の人間の一生の仕事だったんだよ、という説明が、それと老舗店舗や区画や都電の停留所やら道やらのちまちまっとした説明が左右にある、という体裁で、正直読みづらかったかな!!

 

浅草ってのはなんとなく勘違いされてるらしいんですが(私は勘違い部分から良く知らないw)、もとは江戸の市中にはない、水運を使って行くような江戸から見て東側の歓楽街、そもそもなんでそうなったのかというと巨大な浅草寺を中心にした寺町があって、その側に芝居小屋が、さらに北には浅草を頼みにやって来たという新吉原があったよん、という土地柄で、戦後には芝居小屋はなくなったものの映画館が立ち並んでいたらしく、立派な転身を遂げたなぁ、とちょっと感心。

ところが浅草寺の境内にあったひょうたん池を、浅草寺の戦災の修繕費用捻出のために埋め立ててしまってからどうも少しずつこの土地が衰退していったのでないかな、ということが言われていまして、それはもちろん実際にはどっちが先で後かわからないんですが、あるいはそういうこともありえるのかなぁ、という気も。

今も特に浅草寺の仲見世には人がいるんですけどね、こんなものじゃなかったそうで。

そういやその仲見世も中は焼けたものの外側は戦火にも耐えたらしく、他にも地図を見ているとちまちまと現在も店残ってるんですね、なんかそれもすごいなぁ。