『八重の桜』#42 襄と行く会津

そういや徳富蘇峰(徳富猪一郎さんって呼ばれてるのかな? 昔の人って名前何個かあるよね)の弟の徳富蘆花が地元に居ついたのであわよくばちょっとくらい出てこないかな、と思ったんですが、同志社の生徒はよほど存在感がないと無理かやっぱりw

10年後の国会の創設を睨んで、彼は新聞社を作りたいのだとか。

正直、10年って期日は不満が出ない範囲でちょうど良かったのかもしれないって雰囲気だよなぁ、これ決めた人はその場凌ぎっぽいことを言ってたような気もするのですが。

 

この回はほとんど総集編のような作りで、八重さんと覚馬さんの娘さん、それぞれの旦那さんとで会津に旅立ち、それ自体は新しい学校の創設の下見という意味合いなんですが、母子の対面があったり、和解、というとちょっと違うんですが、わだかまりのようなものも少しだけ解消されたり。あとは過去の話。

でもなあ、やっぱり会津はなんか間違ってたような気がするんだよな、と口にする人物も出てきます。今までのような敵対的な人ではなく、武士は本当に立派だったんだけど、民衆がそれに付いて行かないと国って立ち行かないんだよなぁ、と述べておられて、個人的にはその見解に同意したい。けして駄目な治世だったとか、そういうことじゃないと思うんですよね、ただなんというかやっぱり、優先順位みたいなものを間違えた気がするんだよね。

要するに、これで会津に関しては一定のケリを付けたってことになるんでしょうか。

最後に出てきた元会津の捨松さん(八重さんの友人の妹さんだよね)のあまりの異性物っぷりに、思わず笑ってしまったんですが、来週からいかにも荒れそうで楽しみです☆

ところでわりとどうでもいいんですが、八重さんが会津に戻った時の昔の使用人さんは「洋服着た変わった女性が」ってだけでなぜ八重さんだと思ったの、なんでだよぅww