「明治の東京計画」藤森照信

明治の東京計画 (岩波現代文庫)

明治の東京計画 (岩波現代文庫)

 

 

銀座煉瓦街計画が若干時代に早かった、というのはよく聞くものの(でも、本の中でも言われてたけど、銀座って煉瓦街になってから躍進してるし、日本橋に並んだってよく表現されてるよね)、日本初の煉瓦工場よりも早く、挙げ句の果てに「謎の建築家」ウォートルスがわざわざ窯まで作ってくれてたの知らなかったんですが。
前からこの人気になってるんですが、25歳来日、中央に関わったの29歳、で、この行動と活動力にも関わらず、来歴不明で香港にいたかも以上終了ってなんだよww

まああれです、その銀座煉瓦街の評判がいまいちだったので、続いての市区改正はスローダウンしまして(でも道路や交通概念、公園やいくつかの建物は辛うじて残りむしろ現存)、結局あとから出てきた東京火災計画は完全に江戸時代の延長上で行われ。
ただ、だからこそこの計画に関しては完全な成功にはなったようです。
東京湾」構想というものも話には聞いていたんですが、かなり技術的に無理のある計画だったみたいですね、横浜港があんなにすんなり作れたのが奇跡だったみたい。
(野蒜港って確かに「よくわからないまま」頓挫してたとは聞きましたが、なんだ純粋に技術的に駄目だったのか、地形の有利不利からわかってない段階って…。)
で、エンデやらベックマンなどのドイツ系の技師? 建築家? の人らの官庁集中計画は、普通に無理だよね、丸の内の移転の時点でもう経済的にぴーぴー言っててその建築資金そのものもだいぶ周辺地域より高くなったんだもんなぁ。
丸の内を三菱が購入しない場合は共同購入予定だったようですが、まああれだ、財界はその頃結構な泥沼の争いしてたので、まともに行ってた可能性も低い、と、ううん。
しかし三菱の丸の内の開発って頓挫した市区改正の流れで作ってたのか、面白い。