『権力の館を考える '16』#8「首相の館(3」

正直なところ中曽根さん、竹下さんに関してはもちろん記憶があったものの(教養がどうとかじゃなくて今でも普通に見るしね)、福田赳夫大平正芳にほとんど聞き覚えがなく、いや、前者は文字で見たことがあったかどうか、と思ってWiki先生で調べてみたんですが駄目でした、そもそも総理大臣以前にその時代に関しての政治を読んだ記憶がありませんでした、あー、私の空白時代ってこの辺なのかなぁ。
なんかちょっとこう、だいぶ恥ずかしかったです…。
詳しくはなくても、名前くらい聞いたことがあっても良かった。ううう。
えーと、すごく大雑把に言うとわりと長い「高度経済成長期」の前後辺りの人たちってことでいいのかな、あんまり自信はないんだけども。
というかあれ、同時代として語られてるアメリカの状況にはそこそこ聞き覚えがあって、中曽根さんとか竹下さんなどの外交に関わる人物には記憶があるという時点で、なんとなく薄っすら察せられるものはあるような気もしないでもない。
 
そういやこの時代の間に「自分の師匠筋である佐藤栄作邸に住みたい!」と言い出した人がいたものの、誰だっけか、その次に自分の同胞のように思ってる相手に館を譲ろうとしたらなんでそんなことを、という感じで断られたという話が印象的でした、わかる。
そしてどれが誰だったのかがさっぱり思い出せないので曖昧に過ぎてってしまってすみません、ただ、その館を主にマージャン用にしていたりとか、自分の別荘に米大統領を呼んだとか、なんとなくこう、全体的にバブリーで古めかしい雰囲気は記憶に残ってる。
なんかもうそれ以前の、食わせるために人を集める館じゃないんだよね、遊興やら余暇やらが付随してる、そしてだんだん政治機能は公的機関にと移転してくわけか。

「北辺の海の民・モヨロ貝塚」遺跡を学ぶ001、米村衛

北辺の海の民・モヨロ貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

北辺の海の民・モヨロ貝塚 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)

 

 

そもそもこのシリーズを読み始めた理由ってなんだっけ? どちらかというと興味が中世以降に偏っていて、そこに関してはあまり文献史料(確定してないものって意味ですが、文字はあるよ文字は結構たくさんあるよ!!)がないもので、物の記録に残るのがわりと自然な選択だったってこともあるのかなぁ。
あとあれ、どうもわりと現在進行形で考古学に関しては更新されているらしいということに気付いたのも大きいのではないかなと思うんですが。
ここの出来事って要するに考古学に関しての近代史の1ページって認識でいいのかなぁ、あんまり古代史に関しては興味がなかったんですが、これは非常に面白い話でした、あれだね、苦手なのが主に邪馬台国の場所などに代表される水掛け論で、それ自体も案外学説の進展には有効だということはわかっているものの、素人が読むものでもないじゃないですか、いつひっくり返されるかわからないというか。
(まだしもどっちかが正解ならいいんだけども、両者問題外になることもあるw)
 
この遺跡そのものはそもそもアイヌ文化に憧れた青年が、ほとんど知識皆無で北海道に渡り、その地で自分の生家である理髪店の経営をしながら情報を集め、奥地に向かい、そこで現地の人くらいにしか知られていなかった遺跡を見つけ出し。
まあ、この経緯だと当然アイヌ民族のものだと思ったんでしょうが、結局のところその彼の細かい調査によって別の血統ではないかということが判明していくような過程が描かれていたんですが、どの国でもこういうアマチュア研究員みたいな人の手によって考古学が進展するみたいな経緯ってあるよねぇ、なんでか。
個人的にはアイヌ系ではないと言い出した学者さん好きだな、最終的には間違いでもね。

「摂関政治 シリーズ日本古代史6」古瀬奈津子

もともとシリーズ日本中世史を読んで(まだ最後の1冊、4巻目が読めてませんが)、遡る形で手に取ったんですが、これが最後の巻になるわけかな、このすぐあとが院政時代だしね、やっぱり最近は院政から中世ってのが定番ってことでいいのかな。
(そこを定番として、それぞれの意見を述べるというのが一般化しているというか、昔よりも別け方そのものは細かくなったような気もしますが。)
で、私、もともと五摂家摂関家がごっちゃになっている時期があったんですが、わりとこの時代、摂関時代の藤原氏の家がそれなりに別れてるのがその勘違いの源泉だったのかな、という気もするのですが。
結局藤原氏同士で争うことになっても平和的共存もなく、いずれかの家に集約されていってしまうのがこの時代の特徴かなー、と考えると、一つずつの争いの理由そのものと切り離す形でわりと簡単に理解出来るようになったんじゃないかな。
そして天皇はいずれかの家と結び付きはするものの、お互いにその意思を完全に排除しているわけではないというか、天皇家もほとんど藤原氏と同じような展開していると見たほうがいいような気もする。
というかあれですね、現代の政策による違いというものを勢力の趨勢それ自体で行っていたというのがこの時代か。結構人が死ぬことになるんですが。
院政になると少しそれが緩和して少数勢力が残ることになり、武士の台頭、と。
自信があるわけでもないんですが、こう捉えたほうがわかりやすいんじゃないかな。
 
そもそも日本の政治って言うほど変化してないというか、税金が土地税一択でその税回収とその使い方くらいしか幅がないんだよね…。枝葉取り払うとシンプル極まりない。

『日本の美術45 石造美術』小野勝年・編

私このシリーズを見てきてカラー写真と白黒写真の品目がかなり被ってるというのは初めて見たんですが…(一部の最重要なものに関してはカラーにも出て白黒で部位を、というケースは結構あるけどね)、要するに絶対数が少ないって認識でいいのかなぁ。
あとあれ、道祖神に関してはそんなに古いものだと思っていなかったんですが、この本で出てきていたのもあくまで一つだけだったので、その辺の兼ね合いどうなっているんだろう一体、どっちかというと中世くらいまでを想定していたのではないかと思うんですが。
反面、かなりの規模でしっかり残っている石仏などを私が知らなかったんでどうにも偏ってるよなぁ、という気が(ヒキガエルみたいだと何度も言われていた亀石のほうが見覚えが)、いや、仏教関係や寺院関係の本それなりに読んできてるつもりだったんですが、美術史のほうから取り上げてる本じゃないとお目に掛かれないんだなぁこの辺。
そういや私も石造? という意味でちょっと心許なかったものの、物を見てみると海外の寺院などではたまに紹介されている形式に近いのもあるんだね。
前に見ていた『見仏記』でも石仏のことをかなり珍しがっていた風情だったしなぁ、ううん、いわゆる有力寺院などにないというだけのことなのかもしれないんですけども、見るだけの価値があるものを紹介しないのがちょっと残念。
正直なところ、わざわざは行かないんですけども、この先にありますという表示があったらあれは見に行くよねぇ、博物館でも見たことないし…珍しいからなおさら。
 
そもそも年代測定が事実上不可能であり、それこそ土器と一緒に埋蔵されてでもないと無理! と言われていたり、町中にある分いつからそこにあるのかも不明だったり、一部の職人の記録程度しかないんだろうとも思うんですが、せめて石仏は紹介してて欲しいなぁ。

「京・鎌倉 ふたつの王権」全集日本の歴史6、本郷恵子

この本はだいぶ面白かったのでシリーズの1巻めも予約してみたんですが、どうかな、五味文彦さんが編集や監督に関わってる本はとりあえずチェックはするんですよね、全体的に面白い傾向があるので、えーと、ここだと5巻ですね、院政よりもちょっと前ってことになるのかな、だいたい6巻が院政鎌倉時代辺りが該当なんですが。
で、7巻が室町時代だよね、1巻が面白くなくても5巻と7巻は読む予定です。
 
ざっくり言うと前から存じ上げてる著者さんなんですが、正直庶民本はそんなに面白くはないんだよなー、多分専門そこだと思うんですが。
前にも九条兼実とその周囲に関わる記述を読んだことがあるのですが、ご当人がお好きだと言ってるわけではなく、若干「真面目すぎて面白味がない」って明言してるんですがそれにしては結構愛情籠ってる気もするなぁ。
というか九条兼実って、源頼朝がまず好きですよね、少し前に鎌倉本かなにかで乱の時にけしてルールを曲げることに了承しなかった人物として出てきてその後、交渉相手は九条兼実で、と明記されていたのを見たことがあるのですが。
親族との結婚や、その後鎌倉将軍として血縁が立てられていたのも見たことがあったんですが、他にもいろんな関係があったんだね、ということがこの本で。
なんというか朝廷は信じない、九条兼実なら信じるって態度のようで、なかなか興味深いw それが面白味がないほどに生真面目な男ってのもなんか悪くないなぁ。
中世はその歴史資料のなさから庶民史寄りになることが多いのですが、日記はあるんだけどもなんか微妙に欠けてるっぽいしなぁ、おかげでだいぶ難しい内容になるものの、基本的に本は面白いよね、そして気付いたら私、本の内容は九条兼実にしか触れてないな。

「比叡山延暦寺-世界文化遺産」歴史文化ライブラリー、渡辺守順

私しばらくこの比叡山延暦寺がどこにあるのかがわかっていなかったんですが、それと、京都の土地周辺の事情を調べるといつも北が空白地帯のように描かれていることが多かったのでよっぽど堅牢な山なのかなぁ、と思い込んでいたんですが。
京都関係のテレビ番組を見るようになってその辺の誤解は氷解しました、もちろん。
というか、京都テーマで見てもなぁ、今更、結構本読んでるし、と思っていたのが本当に心から恥ずかしいです、でも地図の上で大雑把に比叡山って書いておいて欲しかったよ、確かに超有名だから知らないはずなんてないという発想もわかるんだけどね!!
 
というのは本の内容とは全く関係がないんですが、平安時代の教科書でも当然のように覚えることになる「しんくう」と「てんさい」のうちの最澄さんの天台宗です。
わりと最近になっても使えました! ただ大変申し訳ないんですが、空海さんの真言宗はもう素で覚えてるのでこうやって思い出す必要がないというか…すみません。
本の中でもあれだね、大師って言われると皆弘法大師思い出すけど最澄さんのほうが先に大師号貰ってたんだよねー、とか。
沢庵和尚が有名だけどそれ以前から漬物が好物だったのにねー、だとか。
まあ軽く茶化してましたが本当にごめんなさい、ただ、そんなに悪いイメージもないし印象もないというか、なんらかの事績のようなものがつながっていないという気もしないでもないんだけどもね。
なんだかんだと日本の仏教史のメモリアルな一人で、多分一番派手な人よりは地味という程度でそこまで影を薄くさせることもないだろうというような。
すみません、延暦寺そのものに触れ損ねました、わりと優等生な本でしたすみません!

「NHK さかのぼり日本史(4」明治「官僚国家」への道、佐々木克

正直なところ「官僚」という専門知識の持ち主がなぜ必要とされたのか、その人材を最終的には国内で育成していくことにしよう、という流れの本ではあったんですが…。
ど素人として退けられていた人たちが国外で高等教育を受けていて、その「ど素人」という判断をしたのが維新の三英傑という段階で…その。
え、いや、知識ある人いるよね?
というか、確かにアドバイスが全く役に立たなかった事情そのものはわかるんだけども、相手の主張内容がごく真っ当な判断であるということを(要するに丸呑みにする自己判断することが出来ない相手へのアドバイスとしては不適当だった)、念頭に置くとこう。
高等教育を受けた知識人ではなく、専門知識のみしか持たない道具としての「官僚」が必要だったので海外に頼るわけにはいかず、国内で育成する以外になかった、という感じの結論になってしまったので正直だいぶ暗い気持ちになっていました。
いやまあ、新政府と揉めた人らって何人か出てきてましたが、だいたいあの辺。
外交の森有礼とか、大隈重信の北海道の官地の払い下げに絡んだ問題とか、別の側面からの事件を見ていた時に展開が全く意味がわからなかったんですが、よくもまあ、あんなにも一方的に断罪することが出来るもんだなぁ、と正直こう…。
それが当時の新政府の見解だったんだよ、という意味ではわかりやすくはあったけどね。
 
結局のところ誰がいいとか悪いとかではなく、能力ではなく「功績」と下手すると生き残りという偶然の要素で政治が行われることによって数人が行政を掌握しなくてはならず。
それなりにいた高等教育を受けた知性の持ち主を生かすことすら出来なかった、そのため、みたいな感じの展開ですね、うん、現状ともよく合致する。本とはなんか違うけど!!