『爆問学問』#37 山極壽一(霊長類社会生態学)・前編

“私が愛したゴリラ”、正直言うと私、ゴリラよりもオランウータンのほうが好きというか、親近感があるのですが(確かゴリラが遺伝子95%、オランウータンが97%の人間との一致って聞いたと思うんだよなぁ)(親近感の理由に「似てる」ってありかと)。
なんとなくゴリラのほうが扱いが上なのが面白くないだけで(マジですな)、別にゴリラが嫌いなわけじゃないですよ。まあ、絶滅危惧種のオランウータンで実験やって欲しいとかそんなじゃないんですが。基本的に、知能実験で有名なのはゴリラです。


とはいえ、この回の方は「動物園のゴリラって知らないんですよねぇ」とのことです。
野生のゴリラとは親しいらしいんですが、まあ、かなり生態とか違うんだろうなぁ、で、人間と共通の部分の研究はいっぱいされているもので、人間と違う部分を研究しよう、というコンセプトなのだそうです。
まあ、原猿類(キツネザルとかの小型な系統)が劣っている、という表現をされるとかなり頭に来るんですが、人間を一つの「ゴール」として進化を考える、というのはさすがに人間が行なう思考の体系としてはありだと思うのですが、基本的に手と足の長さが同じところ(陸上でも木の上でも暮らせます)から始まって、そのうち手のほうが長くなり(木の上に特化、腕のみのほうが移動出来る範囲が増えます)、しかしどういうわけか人間は足が長い、進化したのか退化したのか、立ち上がって歩き始めたことが有利だったということ、それが足が長くなった理由だろうというところまでは自然な流れなのでしょうが。
そしてその人間に近づく過程で母系→父系という傾向も、これも多分ですが、ある程度の規模を維持するためにはオスがボスになるほうがいいんじゃないかと、母系だと協力するけど、父系だとどっかで争うんですよね、、、人間って動物だなぁ、しみじみ。